おぎやはぎ小木氏の騒動について親に可愛くないと言われて育った娘が思うこと
先日Twitterを見たら、「小木さん」というワードがトレンドに上がっていた。
何気なく見てみると、どうやらおぎやはぎ小木氏 vs フェミニストっていうのが今話題のClubhouseでなされたんだとか。
小木氏の言動について、色々と思うところがあったのでブログを書こうと思います。
Clubhouse関連については、あまり興味もないし調べられていないので言及しません。
ただ、私のスタンスとして「悪いことをした人には何をしてもいいわけではない」とは思っているということだけ書いておきます。
フェミニストの怒りは妥当だが、報復が妥当かどうかは別の話、というスタンスです。
◆騒動の流れ(間違ってたら指摘いただけると助かります)
発端は、小木氏の「女性はピラニア」発言が炎上したこと
→今週のラジオでその件に触れて、開き直ったことがネットニュースに
→それをみてフェミニストが怒り、小木氏の娘に関する過去のラジオ発言を持ってきて「児童虐待」という
→Clubhouseにて「フェミ二スト達 vs 小木氏」勃発
◆私個人の感想
まず、私は女性で、女性差別にもある程度敏感です。
現状、女性蔑視というのは確かにあるとは思う。それを主張することを良しとする一方で、一部の過激なフェミニストによる過剰な反撃によって、それが認められないことが悲しいとも感じています。
おぎやはぎという芸人さんは好きでした。小木氏個人については、昔は割と「自分はクズ」というスタンスを堂々と出しているところが苦手だったけど、最近は、特にコンビでのまったりとした空気感が好きでTVでもおぎやはぎさんの番組を選んで見たりもしていました。メガネびいきも何度か聞いてて、好きだったのになあ。。
だからこそ、今回の小木氏の言動は非常に残念で、改めてほしいと感じています。それ以外が面白くても、そういった差別的な発言があると、視聴後の感想が「しんどい」になってしまう。それは芸人さん側としても損なはず。
そんな話しなくても面白く出来る技量があるんだから。。。
◆今週の「メガネびいき」を聞いた感想
今週のラジオで、この発言についても小木氏は触れていました。
「侮辱しているわけじゃない。ピラニアって言ってるだけ」
「俺は魚の中でピラニアが一番好き」
私が特に気になった発言はこの2つ。
前者については、ピラニアっていうのは十分侮辱になり得る言葉だとしか言えない。
後者についてはまああからさまにボケだということはわかります。面白いとは思わないけど。
これらの発言から「俺の価値観に合わせろ」というスタンスが見て取れるのが非常に悲しい。何でも被害者面して「私は傷ついた!」というのは私も好きではないけれど、ここまで「傷つけるつもりはなかったので無罪」と主張するのはもっとおかしいと思う。
しかも、今週のラジオで藤田ニコル氏のClubhouse関連の炎上に触れて、「人前で話してるんだから言っちゃダメなことはあるでしょ」的発言もしてたんですよね。
さらに別の文脈で、「Clubhouseはラジオみたいにちゃんとしてなくて良い」というような文言もあったので、ブーメランだなと感じました。
◆「お前は可愛くない」と言って育てるのは児童虐待か
小木氏は、自身の娘に「お前は可愛くない」と言い聞かせて育ててるんだとか。
原文っぽいTwitterがあったので貼ります。これが原文じゃない可能性も考えてコメントはしますが。
小木さんがトレンド入りしてclubhouseの件がザワついてるけど、小木ってこれでしょ。男心を満たす為に娘の自尊心折る親でしょ。笑ってる矢作も耐えがたいレベル。 pic.twitter.com/qbZmiEw6ip
— ちゃん (@kurepatosansei) 2021年2月15日
ここでも、あからさまな価値観の押し付けが見られて非常に残念。
そもそも、「可愛い」「可愛くない」というのは個人の主観に過ぎない。小木氏は奥さんの奈歩氏についても「ママは可愛くないけど別の部分で頑張った」と言っているわけですが、写真を見ても、可愛いかどうかは意見が分かれそうです。美人だという人も十分いるでしょう。なのに、「ママは可愛い」という子供の意見に対して「お前はわかっていない」と返すのは価値観の押し付けに他ならない。
大人であれば「あなたの価値観であればそうかもしれないけれど、私は違います」と突っぱねられるかもしれない。しかし、子供というのは、生まれた時から親の指導の下育ってきているだけあって、親の言うことというのは素直に受け入れてしまいがちだ。だからこそ、親による価値観の押し付けは虐待になり得る。
それが自分を否定する類のものであれば尚更罪深い。
◆「子供を愛している」というのは虐待だという事実の反論にはならない
私自身も、親から「可愛い」とは言われずに育った。
日常的に「お前は不細工だ」と言い続けられたわけではないので、世間一般的な虐待とは印象が異なるかもしれない。しかし、確かに私の顔は親の好みではなかったことは感じていた。単純に容姿だけを指す言葉ではなかったかもしれないが、「可愛くない」と言われたことは一回や二回ではなかっただろう。二十歳ぐらいの時に「私はあなたのことを一度も可愛いと思ったことはない」としみじみと言われた時も、「まあそうだろうな」と思ったのは記憶に残っている。
親元を離れて10年以上経った今、はっきり言わせてもらうと、私は別に不細工ではないと思う。理由は色々あるとは思うが、親以外にそんな接し方をされたことはないので、親も小木氏と同様、「この娘を調子づかせると将来が危ない」と思って善意で忠告していたのかもしれない。
その結果、私は自己肯定感の低い子供として育った自覚がある。顔の話以外にも、両親の”教育”は自分の価値観を押し付けつつ私の意見を否定するものが多かったため、それが私の成長に悪影響を与えたことは明らかで、虐待だったかと言われると否定できない。ただ、その一方で、両親は自分を愛していたかと聞かれると、それも否定できない。彼らは彼らなりに私を愛していたのだと思う。過保護だとすら感じる。ただ、そのやり方が私には合わなかっただけだ。
実際、同じ教育方針で育てられた姉は伸び伸び育ち、両親にしてもらったことを自分も子供にしてやりたいと言う。姉の見た目は私よりも両親の好みに沿っていたようだったので、容姿の否定は無かったようなので、その分伸び伸びと育つことができたのかもしれないし、単純に性格が両親と合ったというだけなのかもしれない。
◆容姿にコンプレックスのある子供がどう育つか
容姿にコンプレックスのある子供のたどる道は大雑把に言うと「卑屈になる」か「自力で自己肯定感を見出す」の2つだと思う。私は前者→後者と流れた。そして前者から後者に移行したタイミングが、実家を出たタイミングとほぼ一致するのだから笑えない。
卑屈な女は、誉め言葉を誉め言葉として受け取れない。私は(自分で言うけど)顔が他人よりかなり小さくて、「豆みたい」と言われたことがあったんだけど、髪の毛にボリュームが無いことを馬鹿にされているのだと思って、当時ショートカットだった髪を男子用のワックスで必死で立てていた。大人になってから褒められていたと言われて驚いた。
その後も、容姿のマイナスを補うために下手なモテテクに走ったり、自己肯定感を埋めるために女を武器にする「チョロい女」になってしまったり、逆に異性に攻撃的になったり、自己肯定感が低くて良いことなんて無いと言ってもいいだろう。
正直、小木氏の言う「自分が可愛いと思ってない可愛い女」っていうのは、自分が可愛いことわかってると思うよ。。本人でないので絶対ではないけど、卑屈な女はそもそも「可愛く」なれないことのほうが多い。
◆まとめ
色々と書いてきたが、「小木氏のやっていることが児童虐待なのか」というのは、結果論でしか判断できないのだと思う。
ただ、「子供の容姿を否定しながら育てる」ということは、十分虐待になり得るということは声を大にして言いたい。
また、小木氏のような著名人がそういうことを言うことによって、同じ教育方針を取る人もゼロではないだろう。その結果、新たな虐待が生まれる可能性もある。そのことについても一度考えて欲しいと思う。
最後にもう一度言うが、おぎやはぎという芸人さんは実力があると思うし、そんな話をしなくても番組を面白く出来るはずだし、余計なことでその面白さを半減させてしまうのは勿体ない。その自覚を持って芸能活動を続けてほしいと切に願う。